社長の生い立ちと家づくりへの想い
昭和42年創業の木村建築始めた頃は、敷地内の倉庫で大工が始まりました。
(自分が生まれた頃には、事務所兼母の作業場になっていました。)
木村建築が始まって次男の三番目に生まれました。
この頃には、広く作業場兼倉庫、手で加工ができる土地を手に入れ、
今の敷地に木村建築を作って頑張ってくれていました。
中山保育園に3年保育にて入園
まだ、近所にも友達が多く毎日祖母と友達と行っていました。
今とは違い、入園時は木造の平屋建でした。
数年前、年長児の先生に会った時に知りましたが、木造の後ろに
現在の鉄筋コンクリート造園舎を建てていたそうです。
年中児には、きれいな二階建が建っていました。
中山小学校での入学式。
今では、体育館とプール以外は、建て直されてしまいましたが
木造の校舎がありました。
東京ディズニーランドも今から思うと何も無かったと思いますが
連れて行ってもらえました。
小学校の時代までは高度経済成長期、バブルが弾ける前の楽しい思い出でした。
まだ、次男の自分は、作業場の片づけをしてお小遣いをもらったり、職人さんとお菓子を食べたりと何も考えずに大工を見てきました。
そんな中、転機をむかえ長男が家を出ていく決心をした事により
小学生ながらも、自分が継ぐと伝えました。
二代目といっても、恥ずかしながら何もせずに月日が経って行きました。
恥ずかしがり屋で目立つ事をしなかった自分ですが、
中学校から徐々に変わっていき、
音楽祭では、指揮者を立候補。
修学旅行では実行委員になり、
予定外でしたが、メンバーが揃うと実行委員長に任命(はめられた?)されました。
高校から卓球部に入りつつも、音楽の楽しさが忘れる事が出来ず
二年生から、音楽部を有志のみんなで立ち上げる事が出来ました。
田原市で行われているトライアスロン前夜祭にも、出場者への応援にお邪魔させていただきました。
その時には、工藤兄弟さんが参加されていて、サインを求めてしまいました。
今、思うと失礼な事だったかと思います。
高校では、休みになると大工さんの手伝いをさせてもらい、日々大工になる気持ちが高まって行きました。
しかし、大工だけでなく資格も必要だと考え、名古屋にある東海工業専門学校ですぐに現場で役立つ勉強と
2級建築士を取るために叔母の家にお世話になりながら三年間通う事が出来ました。
最終年度には、鉄骨で雨風にも関係なく仕事が出来るように現在の作業場を建ててくれました。
帰ってくると、職人さん達に大工の技術を教えてもらいながら、
平成17年一級建築士を取得。
平成23年結婚
平成25年木村一級建築士事務所創業
長女が生まれて来てくれました
平成28年宅地建物取引士試験合格(育児の大変な中、妻に協力をしてもらい)
平成30年長男が生まれてきてくれました
令和 3年まごころホームとして新たに出発。
父となり、子供のアレルギーの事を考えて色々と勉強をさせてもらいました。
まだまだ、日々勉強の毎日ですが、今現在では、体に触れる所は、胸を張って言える
こだわりぬいた本物の自然素材を大事に考えていきたいと思いました。
今までは、戦後の家づくりは高度成長の時代と共に、新建材と呼ばれる石油化学製品や自然素材に似せた、まやかしの材料による家が増えたのも事実なのです。
忙しい日々を過ごしている多くの現代人にとって癒しは、木の香りや空間が生み出す憩いの場なのではないでしょうか?
また、自然素材派こだわりの家づくりは、木という自然の素材が質感や風格だけではなく、鉄やコンクリートに比べても耐久性・耐震性に優れ、住む人の健康や安全性、地球環境への配慮からも、住宅に最もふさわしい素材であると考えるからです。
令和6年1月より、「株式会社 木村建築」と改め、
「365日」帰りたくなる家を地震に強く、夏は涼しく冬には暖かい家でご提供しています
住むヒトの心と身体を癒し、深いやすらぎと快さでつつむ自然素材にこだわった
家づくりをあなたと共に・・・